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【アラベスク】  第18章 恋愛少女



第2節 休日の午後 [11]




 心内で、ポツリと呟く。
 自分はまるで、彷徨っていたかのようだったから。
 母との確執で陰鬱に暮らした時期や、アメリカでの慣れない生活にストレスを溜め込み、流れるように日本へと戻ってきた。そうして、美鶴と再会した。
 これ以上、どこかへ流れて行くつもりなどない。
「嘘ですよね。そんな噂、デマですよね?」
「見つけたよ」
「見つけた?」
 トンチンカンな答えに、緩は目をパチクリとさせる。
「あぁ、見つけた。僕の相手なんて、そもそも最初っから決まっているんだ」
 フッと笑みを零す口元の色気と、闇に蕩けるような瞳の婀娜っぽさ。緩は言いようの無い高揚を感じた。
「ラテフィルへ連れて行くのだとしたら、それは美鶴以外にはあり得ない」
「嘘です」
 まるで何かに操られたかのよう。瞳を大きく見開いたまま、空っぽの人形が音を出すかのように緩は声を出した。
「そんなのは嫌です」
 こんな事を言うつもりはなかった。まだ早いはずだ。まだ自分の想いを伝えるのには時期が早いと思っていた。
 ただ、あまりにも噂が具体的過ぎて、本当に夏休みになったら瑠駆真がどこか遠い国へと旅立ってしまうのではないかという不安が膨らみ、緩はいてもたってもいられなくなってしまったのだ。
 私の想いは、先輩にはまだ届いてはいない。先輩は、まだ魔女の呪縛に囚われたまま。このまま先輩がどこか遠くへと行ってしまったら、開放する術は失われてしまうのかもしれない。そんな事は避けなければならない。
「大迫美鶴を連れて、ラテフィルへ行くのですか?」
「なぜ?」
 瑠駆真はコクンと首を傾げる。少し怠惰で、でも甘くて、漆黒に広がるような神秘的な瞳。それはまるで、凪いだ海面に浮かぶ満月の揺らぎ。穏やかなのにどこかざわめき、何かを勢いよく膨らませる。
 欲しくなる。
「なぜそんな事を聞く?」
「大迫美鶴は危険です」
 こんな事を言うつもりなどなかったのに。もっと巧妙に、もっと有効的に諭すつもりだったのに。
 諭す。そうだ、先輩は何もわかってはいない。大迫美鶴ではダメなのだ。彼女では、先輩は幸せにはなれない。なぜならば、彼女は先輩を騙しているのだから。
「先輩は、彼女に騙されています」
「騙されている?」
「そうです」
 緩は強く頷く。
「彼女は危険です」
「何が?」
「彼女は、先輩を利用しようとしているのです」
「利用?」
「先輩が高貴な立場の人間である事を利用して、唐渓での権力を拡大させようとしているんです」
 そうだ、そうに違いない。だって、他にもそのような生徒はたくさんいる。先輩の存在を利用して、己の権力を増幅させようと画策している生徒はたくさんいる。
「美鶴が? 僕を? 唐渓での権力? 馬鹿馬鹿しい」
 瑠駆真は一蹴する。
「美鶴は、そんなものに執着するような人間じゃない。そもそも、権力なんてものには、興味も無い」
「そんな事はありません」
 食い下がる相手に、瑠駆真は不愉快そうに瞳を細める。
「君も、あの柘榴石とかいう人間たちと同じような事を言うワケ?」
「私は、あの人たちとは違います」
 大迫美鶴はやめろ。彼女はただの下賎な人間だ。
 そうやって必死に吹き込もうとする柘榴石倶楽部の女たち。瑠駆真のその美貌と権力に目の眩んだ媚売人。
「私は、あのような人たちとは違います。私は違うんです」
「何が違うんだ?」
「私はただ、先輩を守りたい」
 初めて、瑠駆真の瞳に興味が沸いた。
 守りたい。そのような言葉を掛けられた事は、今まで一度も無かった。
「僕を?」
「私は先輩を守りたい」
 荒涼とした砂漠の只中、幽閉された王子を救うべく、女戦士は立ち上がる。
「先輩は騙されている。大迫美鶴は先輩が思っているような、聖女ではない」
「何を根拠に?」
「それは」
 一瞬、瞳が泳ぎ、突発的に浮かんだ閃きが口から飛び出す。
「彼女は、霞流(かすばた)邸でも同じような手を使っているから」
「霞流?」
 瑠駆真の目の色が変わった。
 やったっ!
 だが、ようやくメボシイ反応を見せた相手は、緩の想像を遥かに超えた形相で身を乗り出す。
「君、霞流の事を、何か知っているのか?」
「え?」
「霞流慎二(しんじ)と美鶴の事を、何か知っているのか?」
「霞流、慎二?」
 呆気に取られる表情が、瑠駆真の胸を突く。
「い、いや」
 取り繕う。
「何でも無い」
 不自然に視線を逸らせば、逆に相手の不信を招く事くらいはわかっている。だがそれでも、瑠駆真は視線を外した。
 知られてはいけない。
 別に知られても構わないとは思う。だが、きっと、美鶴が嫌がる。
 美鶴は、自分の想いが校内に広がるのを恐れている。それは瑠駆真も聡もわかっている。だから、彼女と霞流の仲を裂きたいとは思いながらも、そんな手は使ってはいけないのだという事も理解している。
 なにより、バラせば、瑠駆真自身が美鶴に嫌われる。
「忘れてくれ」
 無造作に手をポケットに突っ込む。首を傾げる相手の表情に、瑠駆真の胸中が波を打つ。
「とにかく、美鶴が僕を騙しているだなんて、そんなくだらない言い分は聞きたくはない」
 言いながら場を去ろうとする。
「くだらないだなんて」
「じゃあ、何だ? 何か証拠でもあるのか? その、霞流邸とやらに?」







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